台湾での生活

45歳で留学し台湾で生活する独女の備忘録

どこまでも優しい台湾人

引っ越しの荷物を何度かに分けて自力で移動しようかと思っていたが、

すぐに友人の叔父さんが「引っ越し手伝うからね!」と声をかけてくれた。

 

半島に住んでいるのでフェリーに乗らなければならず、ちょっと大変だと思いつつ自分でやるしかないと考えていたので、

即「お願いしますっ!」と答えた。

 

学生アパートとの契約も

遠くに住む友人が、電話でやりとりしてくれた。

 

3か月居候した友人の実家は、何度お願いしても家賃を受け取って貰えず、

毎晩の夕食も必ずお婆ちゃんが作り、

食材も買わせて貰えなかった。

 

出て行く日にちを伝えた際に

これまでのお礼に何か買ってお渡ししたい旨を伝えるも。

「いらないからお金は取っておきなさいよ。」とお婆ちゃんが言う。

 

もし、悪い日本人がいたら

台湾人「ちょろい」と思うだろう。

 

この善意にあぐらをかいて、

どこまでも甘えれば、なんの苦労もせずに

生きていけそうだ。

 

時々そんな悪い日本人がいるので

お尻ぺんぺんしてやりたい。

 

私は日本でもたくさんの人に支えられて

たくさんの人に、それはそれは様々な事を教えて頂いた。

 

本人にお返しするのは勿論なんだけど、

私はそれを違う何かに還元して、

グルグル廻さなければ、バチが当たる。

 

いま、私のとこで大分溜めちゃってる感覚。

 

13歳で親と別れ子供だけで暮らし始めて

常識知らずの私がどうにか生きてこられたのは、周りの人達のおかげ。

それは大人だけじゃなく友人の子供達も。

さらに言えば今年アパートを引き払ってから、

友人家族と過ごした日々で初めて家族の在り方を見た気がした。親子喧嘩も見たし、なんなら子供と私の小競り合いもあった笑

台湾での3か月の居候も親戚で集まってご飯を食べる、お互いを気遣う。そんな家族という集団の存在意義を理解し始めた。

 

みんな体験してきた当たり前のことを

45歳になって、やっとわかり始めたような気がする。

 

結婚した時は、そんなことが全部欠けていて

何にも理解できていなかったから

だから離婚になったのかなと。。

 

そりゃあ色んな事を考えた。

 

たまにはこんなことも書きたくなる

あまり考えずに書き始めたら

タイトルと本文がちぐはぐ。

 

最近はシナリオを書いてみたいと思ってる

台風が来てるので情緒が不安なのかもしれないな!