思考のクセ
日本では他人の目を気にして生きなさいと
雑誌でも教えてくる。こと外見に関しては
自分ではなく何故か他人基準が多い。
「男性にウケるコーディネート」
「姑さんに気に入られる服」
「ママ友の間で浮かないコーデ」
等をテーマに掲げるファッション紙。
ファッションとは自分の好みで、
自分に合うものを着て自分を満足させるものであるべきだと、これだけはずっと思っていた。
自分が着たい服を着ればいい。
台湾に居ると服装に関してのスレトスは軽減される。
ゴリゴリに付いた思考のクセを
治してフラットに世界を見ていく練習をしなければならない。
通っている語学センターは若い子が多く
吸収率が高い、そもそも皆賢い。
構文を覚えられない中年の私は放課後先生に質問をした。
単語や構文、覚えても進歩してるのか退化してるのか…
ほんと直ぐ忘れてしまうの…と弱音を吐くと
「あなたの言葉は自然ですよ!他の子は確かに構文を覚えています。でも、あれは教科書の丸暗記なので不自然なの。それに比べてあなたの言葉は自然ですよ!」と言ってもらえた。
瞬時に『慰めか社交辞令か…』と脳内に日本語が浮かんだ。しかし、すぐにその言葉を脳内から消去した。
この裏を読むクセは非常に意味のない行為である。
外国で1人、言葉を学んでいる。自分で自分を盛り立てていくしか無い。
せっかく他人に言ってもらえた言葉を褒められたと受け取らずにどうするのか。
その日は、この言葉を抱きしめて眠りについた。
最近習った単語
再見全壘打→サヨナラホームラン
啦啦隊→チアガール
壞球→ボール(死球)