台湾での生活

45歳で留学し台湾で生活する独女の備忘録

解散した家族

コロナの不便が既に日常と化した日本へ

とうとう帰国する事になった。

本来ならばビザの延長が認められ

まだ二カ月滞在出来たのに。

怒りと悲しみで胃がおかしくなり

ずっとトイレで吐いた。

 

病気って突然。

自分の腫瘍の時もそうだったけれど。

 

親の面倒を見る義務が有るとしたら

親が子供の面倒を見た事実がある時のみ。

そんな風に考えていた。

私達は早くから子供だけで暮らしてたし

親の面倒を見るなんて全く考えてなかった。

若い頃は恨む日々で。

全く居ないものと考えていた。

 

しかし、人として考えた時

ただ単純に病気の人を介護するのは

当然の事としか思えなかった。

 

当たり前だが

父親が居なければ自分も存在しておらず

こんな自由に、自分勝手に生きていたこと

恥ずかしくてたまらなかった。

 

コロナ禍の世の中でなければ

父に連絡する事も

会う事も無かった。

台湾からの国際電話を面倒に感じ、

無茶苦茶なお願いを母にした。

「帰国日の変更を父に伝えて」

35年も話してない2人

父が母に生命保険の受け取りの事を伝えた。

受取人は母親のままだ。

(これは後に彼が混乱しており事実では無かったと分かる)

既に歩行困難であり、病気の詳細を知らぬ父も

覚悟を決めている様。

 

そうはさせない。

医療は日々進歩している。

 

家族が解散してから35年

其々1人で暮らしてきた。

 

今回のことで、皆が揃う事は無い。

そんなドラマみたいには事実は展開しないのだ。

 

私1人ですることになる

所詮、自己満足。

台湾に戻れないと悪態もつきたい。

今、後ろ向きの父を無理矢理にでも前を向かせてやる。

そして私も台湾に戻る。

 

家族って1番厄介だ。

こんなブログ公開していいのかな。